なんだか、前回はギトギト書いてしまった感じがしたので、一旦、調子を変えようかな、と思った。
それで、この本ブログのタイトル『the good life』というネーミングについて。
なんというか、けっこう、ギリギリな感じがする、イタイ?みたいな、そんな危惧は我ながらある。
そういう歌謡曲ってあるじゃないですか、『FOREVER~永遠~』みたいな、そういうタイトル。
weezerというアメリカのバンドがいて、『the good life』と言う曲がある。
特別に好きかと言われると、強くはうなづけない。好きだけど。
話は、うだつの上がらないフリーターをしていた二十歳ごろにさかのぼる。
私は東京の西の方で,フリーターをしていた。働くのはいやだった。行きたい美術展やライブがあって、そのためには働かなくてはならなかったが、働いていると本を読む時間が足りなくなる、と憤り、親しい友人たちは皆、大学生か予備校生で、平日の昼間でも休日の深夜でも遊びの誘いがくる。
びっちり働いて、スッカスカに休む、というリズムで生活していた気がする。とはいえ、そんなシフトを許す都合のいい会社があるわけもなく、登録制のアルバイトなんかをしていたが、望むとおりに仕事が来るわけでもない。私は常に困窮していた。
目覚めると、アパートは金色の夕日で満たされている。
あぁ、今日が終わってしまう。
それでも、どこかのんきで、金がない以外はそれほどつらい気分でもなかった。
夕焼けを見ながら、コーヒーをドリップし、壁が薄すぎてゆがんでいる部屋に大音量で音楽をかける。
何か食い物があれば、それを口にする。
たいていは、ホワイトチョコデニッシュ、あるいは、納豆と卵、金がなければ、何もない。
それから、チャリンコで駅ビルまでいき、閉店まで立ち読みと試聴を続ける。
金があれば吉野家の並にショウガをごっそり乗せて食す。金がなければ、何も食わない。
ブックオフで閉店まで立ち読みと物色を続け、100円の本を一冊ほとんど毎日買った。
それからアパートまで帰り、明け方まで本を読む。空腹に耐えかねるときは、カロリーの高いカップ焼きそばなどを食す。
コーヒーをいれ、しこって、目ざましテレビを観て、朝寝る。
目覚めると、また夕方。
繰り返し。
暗くて金がなくて、何もしなかった。後悔すべき時間だと思う。
だけど、暗かったが、どこか透き通った感じのする時間だった。
そんな日々、ともに過ごした友人にカネダがいる。
彼は高校の同級生で、予備校で京都大学を目指しながら、いつでもプロ野球選手になれるようにと公園でトレーニングを積む超人だったが、本当は超人ではなくて、私の友人に過ぎず、受験勉強をさぼって遊んだり、私が彼の予備校の講義にもぐったりもした。
希望と現実、というおそろしく基本的な板挟みを感じる時期に過ごす友人というのは、どこか特別な感じがする。
カネダは、京大も慶応も落ち、東北の大学へ進学することにした。
予備校の寮を出たカネダは、都落ちを控えた数日、私のアパートに寝泊まりした。
カネダ、2000円貸してくれ。
いいよ。どうした?
この金で、メシ食いに行こう。
ギャハハ
そういう日々も終わる。
私は東京駅まで彼を見送った。
「世話になったな」
彼はそう言った。
「おれも」
私たちは、抱擁も握手もせず、そんなことをつぶやいて静かに別れた。
私は男がするさびしい表情というものを初めて見た気がしたし、私もそういう顔をしているような気がした。
私には金がなく、所持金では立川まで帰れそうになかった。私は、ホット缶コーヒーを買った。
残金では荻窪まで。
それでよかった。
荻窪に着くと、すでに缶コーヒーは暖かくなかったが、その夜はずいぶんと気温が高く、私は立川まで歩き出した。
次の入金のあてがあった記憶はない。
グッドウィルやフルキャストから現場の指示が来たら、前夜からチャリかなんかでいけばいい。
そんな気丈なことを考えて歩いた。
カネダを見送った後で、暗いことを考えたくなかった。
分厚いパーカーは汗がにじむほどだったが、ポケットのコーヒーは気温よりも冷たい感じがした。
夏にはどこか旅行でも行けたら、とか、カネダの抜けたドラムにオオキを入れるのはいいが、今度会ったら、誰が何を担当するのか、とか、自分も大学に行きたいな、とか、とりとめなく、考え事をして歩いた。
国分寺を過ぎたころだった。
コンビニや寄り道を経て、すでに深夜だった。
桜並木の街道があって、満開だった。
はじめて、桜を見た、そんな気がした。
金がないので我慢していた、残り少ないタバコを吸い、また歩き出した。
私は、鼻唄をうたっていた。
ふと、その唄がさっきから頭で鳴りつづけていたことに気づいた。
そして、それは、誰のものでもない、初めて聴く曲だった。
私は、うわさには聞いていた、メロディが降ってくる、という現象に酔った。本当は降っていないが。
忘れたくなかった。
何度も反復し、水をなみなみとたたえたグラスを運ぶように、アパートまで歩いた。
カネダを見送ったことなど忘れていた。
帰り着くころには完全に覚えていたが、記録しておきたいと思った。
ギターでコードをつけ、それをノートに書いた。
弾いてみるとそれは、weezerの『the good life』にそっくりだった。
完全なオリジナルだろうが、パクリだろうが、明日の金にはならない。
いつもの明け方に戻った。
カネダは実家についただろうか。
ケータイには彼からのメールが来ていた。
タイトルは「バター」
本文には、見送らせて悪かったな、夏には遊びに行くよ、などと書かれていた。
バターの意味が全く分からなかった。
朝方、空腹に耐えかね、冷蔵庫をあけると、卵と梅干とマヨネーズとバターがあった。
私は、バターを手に取った。紙箱から、1万円札がのぞいていた。
私は、なんら有効利用、ということもなく、感謝と安堵と空腹でコンビニに駆け込み、弁当とタバコを買い、やがてその1万円がなくなるまで、働きもせず、毎日を繰り返した。
その日々を後悔はしないが、成長しただろうか、と心配になる。
『the good life』はそういう感じで、ブログの名前に使いました。
情報を喚起する音楽もあるし、精神がリセットされるような音楽もありますよね。
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